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まだきちんと言葉にならないもやもやしたことを「考えるために書いてみる」という試みを続けているわけだが、そういう作業をするにはBlogというのは最適なメディアだなと思う。

同世代の企業人を見つめて悩んでしまうこと
(My Life Between Silicon Valley and Japan)
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050624/p1



このエントリで梅田氏が思考ツールとしてのブログについて触れています。この使い方は私もよくします。自分が完全に整理してなくて理解しきれていないような事柄でも、ブログに書くと、様々な人がコメントやトラックバックでデバッグをしたり、関連モジュールを開発したりしてくれます。ただしこれが有効に機能するのは、そのエントリが多くの人が興味を持つ内容で、自分のブログに十分なトラフィックがある場合の話です。(つまり私がそういう試みをしても十分に機能しないというのはさておき)そしてこれは、ノウアスフィアの開墾とも言い換える事ができるのかな?

以前どこかのコラムか何かで、リンクとリンク先からの引用だけで構成された(引用に関連した自論を含まず、ブックマーク的な要素が強い)エントリについての批判が書かれていたが、これはブログを読み物として捉えた場合は全くもってその通りだと思う。しかし、思考ツールとして捉えた場合にはそういう使い方をするエントリもある。

しかし、思考ツールとしてのブログと、ブログにおける読み物としての価値は互いに関連しあっていて、読み物として面白く無いと、思考ツールとして使うのに必要な、十分なトラフィックを得られないという問題もある。

Blogの登場とともに驚愕。重要な人たちの大切な言葉が無償でインターネットに、ずるずるずるずる、これでもかこれでもかと溢れてくるではありませんか。これは本当に驚いた。その驚きと感動みたいなものが、僕のバイアスしたBlog観のベースになっている。

Blog論2005年バージョン(2)
(My Life Between Silicon Valley and Japan)
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050426/p1



以前のエントリで梅田氏は学習ツール(読み物)としてのブログについても触れています。ここでいう「重要な人たち」は、自身では思考ツールとしてのメリットを享受しつつ、一般の人に読み物としての価値を提供しているわけです。そして、読み物としての価値があるとそれを読む人達が増え、今度はその人達がエントリのデバッグや、関連したエントリの作成で「重要な人たち」へフィードバックを行う。これによって「重要な人たち」は目の前の問題を効率的に解決した上、インターネット起点での名誉まで得られるというおいしい使い方。

この、思考ツールとしてのブログと学習ツールとしてのブログという両方の概念とプロセスを含んだ言葉として、これもまた梅田氏の過去のエントリからの引用になるのですが、オープンソース的コラボレーションというものがあります。つまり、ブログは言論のオープンソース的コラボレーションのためのツールとして使えるという事です。
まとめてみると、いつかどこかで見たような有り触れた内容のエントリになってしまったけれど、思考整理になったからいいか。

メモ
私自身の話。ブログとインターネットは、村内ルールに過剰適応してしまわないための、村外世界との接点として非常に役に立っている。

おまけ
ブログに関連する過去のエントリ
日本人ブロガーの匿名性感覚と信頼性について
ブログとジャーナリズム2
ブログとジャーナリズム
オープンソース的コラボレーションの憂鬱
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